仕組まれた自由に

中二の時ハマった尾崎
当時は天才すぎる旋律に惚れただけで
何百回と聞いても理解できなかった歌詞が
この年になってそのまままるごと自分の気持ちになっていたり
その歌詞を物凄く薄っぺらく受け取ってた自分に気付いたり
反逆する十代のカリスマなんてゆう
中二の自分と同じくらい薄っぺらいキャッチフレーズとか
本当に意味していたことを分かってる人なんてほとんどいないことにじれったくなったり。
彼の死後のメディアの姿こそが、彼の言う大人たちを最もよく表していて
教科書にまで載って、それでやっと『偉大な歌手』?
なんてくだらないんだろうと笑ってしまう。
憧れていた世界が
今は最も汚い世界に見える。
この歌詞を理解できるようになっただけで
重ねてきた何年かは無駄じゃなかったと思う。
それくらいしかないけど。
今理解できるようになった歌詞が、見事に彼がこの年の時に書いた詞で
この先自分が年を重ねるごとに
その年に書かれた詞を理解できるようになるんじゃないかと
本当に彼の死を惜しむのは
27歳になってからじゃないかと
そんなことを思って
それだけでも生きていく価値はあるなと
自分自身に対する無関心さにまた驚く。
彼が伝えたかったのは“自由”だけじゃないって
彼の言葉の重みが想像以上なことに気付いた18歳。
誰かが昔、この曲を聞くとあの頃の自分と全く同じ感想を抱くことができると言っていたけど
全く違う感想を抱くのも凄いことだと思ったり
曲はほとんど歌詞より旋律しか聞いてないからこそ思ったり


尾崎好きなのと
某家城氏を好きな感覚って
限りなく似てる。
表現方法が正反対なだけで
自分のやりたいことにガチで命懸けてることに変わりないし
何より
彼らを好きだなと思う瞬間
私やべぇなと同時に思う
あの罪悪感に似た妙な気持ち悪さが全く同じで
この際いいや
もう好きだからいいや
迫害\(^o^)/




つまり、確かなことは、
私はジャングルポケットが好きだ。
あの“ただ叫ぶ”というカオス感
さりげなく絶妙な言葉の節々
役立たずのツッコミ
無駄な発声力
意外とパない技術力
期待を上回るバカバカしさの数々
ディズニーランドで培った友情によって生み出される
“滑り知らずのジャンポケ”の称号にふさわしい安定感
天然と肉体派となんかおかしい人が織りなす
素晴らしいハーモニー(in talking)
にも関わらず相変わらずな企画力の無さ。
全てが素晴らしい。
そしてやはり太田派だということだ。
T山派?そんなのは若気の至りさ。
てゆうかジャンポケって誰が人気あんの?
頑張れジャングルポケット





金のためじゃなく
夢のため 愛のため
そんなものに生きてみるさ